よどみの置き場

怪談……とは限らないこわい話の置き場です。

【こわい話】Y炭鉱病院址にて

私が若者と呼ばれていた頃、廃墟・心霊スポットとして、"Y"という炭鉱とその企業城下町の跡地が当地では有名であった。その"Y"地区にあるY炭鉱病院址へ行った時の話である
※なお、当該地域、当該物件に関するお問い合わせには一切応じません

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ある秋の日曜日、"先達"と私の友人2名、そして私が車に乗り"Y"地区へと向かっていった。"先達"というひとはすでにかの地へ何度も足を運んでいるひとであり、私も親しくさせてもらったが、"友人"という間柄ではなかった。というよりこの"先達"が誘わなかったら"Y"へ行くことはまずなかったであろう。
朝の9時ごろに地元を発ち、"Y"に一番近い集落についたのは朝11時頃だったように思う。そこから先は携帯電話も通じない無人地帯となる。
この集落にあるコンビニで用を済ませて、我々は"Y"地区へ向かう計画を練った。友人たちは既に"先達"に連れられて"Y"に行ったことがあるとのことで、私と"先達"が有名なY炭鉱病院址に入り、友人たちはY炭鉱病院址横で車内で待機する。と決めた

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我々は"Y"へ向かう一本道を進んだ。途中、カラスがたむろしている様子が見えたので、運転していた友人が徐行した

と、そこには、腹部を裂かれた子ジカの死体があった。子ジカは傷みがほぼない状態に見えた
「こりゃあクマだけでなくてハンターにも気を付けないとならないねえ」
"先達"はつとめて明るく答えてはいたが、これから行く場所がどういうところかよーくわかる出来事であった

一本道をもう少し進むと草だらけの道へ突き進んだ。かつては"Y"地区のメインストリートだったが、この時残っている建物は、閉山する際に取り壊しを逃れたコンクリート製の大型の建造物である*1。それも劣化が激しい様子が車中より見て取れた。そして間もなく目的地、Y炭鉱病院址に到着した

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Y炭鉱病院の建物は、"Y"地区を見下ろす高台、だったろう所にある。もっとも元の市街地は完全に草地となっているが。建物そのものは道中見かけた他の建物よりずっと新しく見えた*2が、1階正面の壁という壁にスプレー落書きがあり非常に痛々しかった
病院正面玄関より向かって左のスペースへ車を止め、私と"先達"は車を降り、友人AとBは車内に残った

車外へ降りたとき、私は建物内であるものを見つけてしまった
「これ、クマの糞じゃない?」
"先達"もやっぱり"それ"に気が付いたようで、
「うん、クマの糞だね。こっち(建物の左側)に住んでいる可能性もあるね。左は今回はパスしよう」
というわけで、正面玄関より右側を周っていくこととした

幸いクマの糞があった1F左側はシャッターが閉まっていた。1F右側と、1F離れの手術室をめぐる。1F右側はもともとあった設備が撤去された(としか思えない)穴に気を付ける必要はあったが、当初懸念していた野生動物の襲来、それを追うハンターの心配は不要に思えた

「それじゃ2階に行きますか」
「そうだね」
"先達"と私は、2Fへ行くスロープへ向かった

*
1Fから2Fをつなぐスロープは、現代の感覚では急勾配でかつ滑りやすいものの、設計された当時はかなり斬新であったろうことが推察された。
このスロープ側は全面ガラス張りとなっており、建設当時はかなり開放感があり、できるだけ閉塞感を与えないよう配慮された作りであることが伺えた。
もっともせっかくの設計も、建物が利用されなくなるとあっという間にガラスが全部破損してしまい、少々の風ですら建物全体にゴーゴーと音が鳴り響くはめになるが*3
"先達"と私は「これなら現在でも通用しそうなデザインですねー」などと言いながらスロープを上って行ったのだった

私が異変を感じたのはこのあたりだろうか
なんとなく獣臭い
このときはかすかではあるが、窓枠しかなく風通しが良好なのに臭いがするのもだな。と感じた

2Fに到達した。1Fよりも外側、廊下側とも窓が大きくとられており、こちらが入院棟なのだなと思わせる作りとなっていた
秋晴れの日中、そよ風程度に風が吹き、ジャケットを着ていても温かい程度の気温である。廃墟探索にとってはいい日和である。ただ1点を除いては

だんだん獣臭さが増している
例えるなら、動物園で草食動物の展示場を通っているときの臭いだ
もっともここは行きがけにもシカの死体があったように、獣の臭いがすることはそう不自然ではない
だが、臭いの方向がどうにもつかめない

「なんだか獣臭いですねえ」
私は"先達"にそう声をかけた
「うん、さっきから獣臭いね」
"先達"も感じていたのか
この"先達"なる人物、そうとう「見える人」という話を友人Aから聞いていた。まだ帰ろうと言わないなら限界までは来てないのだろう
しかし、獣臭さはだんだんと濃くなってきた
いうならば動物園で肉食動物のそばを通った時の臭いだ
この臭い、方向がつかめないのではなく、どうやら部屋全体から立ち上がっているようなのだ
クマであるならもっと臭いの方向がつかめそうな気もするが……クマならその前に友人A、友人Bが下から騒いでいるだろうし……
いずれの可能性をとっても、立ち去るべきなのだろうと"先達"も私も決めていた
私はこう切り出した
「ちょっと臭いもきついですし、戻りますか」
"先達"もこう答えた
「うん、これ以上はね」

*
我々は元来た通路を戻っていった。1Fに戻ると臭いは薄かった
友人A、友人Bがいる車に戻っていくと、AとBは外に出ていた。尋ねるとなんでも日向ぼっこをしていたという。確かに日向ぼっこにもいい日和である。A、B曰く、通る車はなく、キツネすら見なかったという
どうだった?と友人Bに尋ねられたが、2Fが獣臭かったという話をした。特に友人たちから反応はなかった
この"Y"行きはこれ以上は何事もなく、無事家路についた

後日、友人Aが"先達"からその時のことをこう聞かされたという
「スロープ側の窓から無数の人型が覗いていた。2Fにもびっしりいた。あの人(=私のことだ)も相当感じているけれど、本人、自覚していないようだね」

*
この文を書いている現在(2019年5月)、この"Y"地区は心霊スポットとしての側面は当時よりは薄くなってきている
残された建造物が炭坑遺産として注目されるようになったからだ
この話に出てくるY炭鉱病院址も落書きは消され、定期的にペンキの塗り直しがあるという
かつては草を車で漕いでいった道も、定期的に草刈りが入るようになった

私自身も、"先達"だけではなく、友人A、友人Bとは付き合いが全く無くなってしまった

"Y"地区に再び人が住む可能性はほぼないが、あの地を訪ねる人間の心構えは大きく変化している

*1:取り壊そうとしても費用対効果が合わなかったであろうものが残されていた、というのが実際ではなかろうか

*2:事実、閉山の前年に完成したものの、閉山の数か月前には使用停止した。病院として1年に満たない使用期間であった

*3:強風が吹いた日には不気味なうなり声が挙げるように聞こえることは想像がつく