よどみの置き場

怪談……とは限らないこわい話の置き場です。

【こわい話?】浪人の水

この話に関しては、私の複数の体験をもととした創作である。
経験そのものの時系列は同時期ではあるが、実際の経験談とは異なることをご了承願いたい

私が通っていた高校は1990年代半ば当時、大半が4年制大学に進学はするものの常に浪人率の高い学校だった。*1
なにせ生徒の方が「4年制進学校」「スポーツ推薦校」「予備校生育成校」と自虐的なジョークを飛ばしていたぐらいだったのだ。

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3年生の後期、私がいたクラスは保健室、進路指導室の掃除が割当たった。

11月のある日、私がいた掃除の班が保健室の掃除に当たっていた。
この班は学力が高くない子が(自分も含めて)集まっており、この時期にもかかわらずゆるい雰囲気であった。

掃除が終わりN1君が保健室内の手洗い場で手を洗っていた。
それをみたT2君、「おっとN1、『浪人の水』やばくね?」と声をかけた。
「えっ?」と振り返る他の班員。
T2君その反応に「あれ?知らない?」という表情が浮かぶ。
T2君、先輩から聞いたんだけど、という前置きをしていうのには
「保健室の蛇口は『浪人の水』と呼ばれて、そこで手洗いをした者は浪人をすると聞いているよ。あと、3年の後期に保健室の掃除当番が当たったクラスは、浪人率が高いって」とのことだった。
N1君は「俺の聞いた話とは少し違うなあ。『浪人の水』は保健室の右から2つ目の蛇口で、俺は右端だから『セーフ』って感じだけど」と答える。
この班では学力の高いN2君はまた違うことを言った。
「先輩から、3年の後期に保健室の掃除当番が当たったクラスは、浪人率が高いとは聞いたけど、『浪人の水』は聞いたことがない」

3人3様の噂話。どれが本来の噂だったのかこれではよくわからない。
その場はどのように話を収めたのか、今はもう思い出せない。

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『浪人の水』の話はその翌週にはクラス内の誰もが知っていた。
2年生から持ち上がりのクラスではあったが、クラスの人間関係は悪く、学力の幅が一番大きいクラスだった。
その為だろうか、もともと落ち着きがない授業がますます騒がしくなった。
勉強のできる男子生徒連中は保健室の掃除当番を拒否し、女子生徒ともめる事態にまでなった。

それまで雰囲気の悪い学級を苦言を呈しながらも、学級委員長に助言をするにとどめた担任は、重い腰を上げた。

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11月の中旬のある日、担任はHRの時間におもむろにこの話題を切り出した

前年度、後期に進路指導室の掃除当番に当たった3年生のクラスを受け持ったA先生に相談に行ったこと。
A先生が受け持ったそのクラスは、他のクラスと比べても浪人率は低かったこと。そして難関校への進学も少なくなかったこと。
何よりも、そのような噂はA先生は耳にしておらず、クラスの授業態度も特に浮ついたところがなかったこと。

担任はA先生から教わったことを、浪人人数、進学者の進学先、休み時間の具体的な行動を事細かに話した。
誰もがその場で押し黙った。

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これが功を奏したのか、以後この噂は、この学年では聞くことがなかった。

実際のこのクラスの進学結果はどうだったか?
浪人率は低くなかった。高い方かもしれない。
ただ難関校の合格者は多かった。見込みよりは減ったものの、この前10年間の不振を打ち消す結果をこのクラスだけで出した。*2

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この高校に今はこのような噂はおそらく存在しないと思われる。

私が卒業して10年ほど後校舎は建て替わった。
校舎が建て替わる少し前から、この高校の学力層が上向いてきた。
そのうえ、大手予備校ができたりして環境の変化もあった。
そのため浪人はいるものの、その割合は以前とは比べ物にならないくらい低くなっているという。

噂を封じ込めるには、
正確な情報を入手すること。噂を消し去ってしまう事実を作り上げてしまうこと。
それが一番手っ取り早く、かつ、堅実な方法だろうか。

*1:浪人率の高さは地元の人間には有名で、ゆえに受験を敬遠する向きもあった。 事実、私が受験した年は受験予定者の1/10が当日欠席をし、合格者の1/4は入学辞退している

*2:むしろ、この学校へ進学しなかった生徒はこの高校へ進学した生徒より浪人率も高かったうえ、最終的な結果はどっこいだった